つまらない大人になってしまった。

つまらない大人になってしまった。

これからだってずっとそうなのかもしれないと思ってしまった。

 

中学2年生の時に初めて「小説家になりたい」と思ってから、今まで随分その夢に借りをつくってきた。

悔しいことがあればいつだって「いつか小説家になってやるんだ」と思って自分を慰め、打ち込んでいた何かを辞める時はいつだって別れ際に「小説家になりたいんですよ」とかっこつけてきた。

「小説家になりたい」というのは嘘ではなかった。その代わりに本当のことでもなかった。

それは「小説家になりたい」と言うだけで完結する、実体のないただの言葉に過ぎなかった。

 

「小説家になりたい」という何の意味も持たない言葉を吐き続けて、僕はもうすぐ28才になろうとしている。

自分の年齢に対して悲観的になることは、たとえその本人が100才であっても間抜けなことに違いない。

そして、28歳が大人なのかどうか考えようとすることも同じようにアホなことに違いない。

「大人」も「子供」も、僕がお題目のように唱え続けた「小説家」と同じように、中身のない「ただの言葉」に過ぎないのだろう。

 

だから、僕は「つまらない大人になってしまった」と思うことによって、「小説家」とか「大人」・「子供」とかいう「ただの言葉」から解放されたような気がする。

 

本当はいつだってどこにだって、「いつになっても変わりばえも成長もしないただのつまらないじぶん」がいるだけなのだろう。

だから、僕は自分自身がこれから一生「つまらない人間」でい続けることを素直に受け入れて、そのつまらないじぶんを大切にしていけたらいいのかもしれない。

 

書くことがあまり思い浮かばず勢いに任せて書いた文章にそれっぽいわけのわからない結論をつけただけなのかもしれない。

だけど、じぶんのことを「つまらない」とか「気持ち悪い」と思うことは、なぜかちょっと心が自由になって気持ちがいい。

 

おしまい