気がつかないうちに負荷は上がっていた

 妻と喧嘩をした。

 

 昨日の晩、僕がMacbookAirを抱えてダイニングまでやってくると、妻は「今日はもうMacやらないで」と言った。僕はブログとnoteに投稿する記事をまだ書いていなかったから、「やりたい」と言ったが、妻は譲らなかった。

 

 「急になんなんだ」と思いつつ、そこから話し合いが始まった。話し合いは変化を辿りながら今日の晩まで続き、やっとお互い安心できるところまで落ち着いた。

 

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 簡単に言ってしまえば、妻が「家事・育児をもっとやってほしい」ということであり、「それで私が疲れて落ち込んでいるのに知らん顔してMacをやろうとしていたことが、許せなかった」とのことだった。確かに僕は最近noteとはてなブログに毎日記事を投稿し続けるのが楽しくて、家事・育児の面で妻に甘えていたし、それを「やってくれるんだなぁ」と勘違いしていた。

 

 けれど、お互い悪かったと思うことを謝った上で、「じゃあ、家事のあれと育児のあれをやれば、Macをやってもいい?」「うん」と確認し合うところまでいっても、なんだか「また同じような喧嘩をするんじゃないか」という不安が残っていた。

 

 それで、「まだなんかちょっと不安だわ」ということで、「昔はああだったねぇ」などととりとめもなく話をしているうちに、「今って色んなことをやらなきゃいけなくて、負荷がかかってるんじゃないかなぁ」という話になった。

 

 息子も、体調は安定しているし、外に出ても何かと落ち着いていてくれるのでもっと小さかった時より楽になったように思えるけど、「じぶんで!」「じぶんで!」と何でも自分でやりたがるのをどうにかやってもらうのは大変だし、保育園も今通っているところは年齢制限あるので、現在保活真っ盛りである。

 

 それだけじゃなくて、他にもやらなきゃいけないことを抱えていたりして、僕らはそれを「チャンス」として捉えて「頑張りどころ」だと思っているから自然に情報収集やら何やら頑張っていたけど、考えてみれば結構気が張って、疲れていたんじゃないかと思ったのだ。

 

 何とか「チャンス」を物にしたいとは思うけど、もうちょっとうまく息抜きができるようになりたいなぁ。

 

 おしまい



WiMAXがやってきた

 最近、「やりたい!」と思ったことを着々と実行に移している。なんとなく「欲しい!」「買いだ!」と思ったMacBookAirを購入してこのブログとnoteを始めてから1ヶ月くらいが経ったが、今度はネット英会話と川崎フロンターレの試合がDaznで見たいと思って、そのためにWiMAXを契約した。

 ネット英会話とDaznくらいだったら光じゃなくてWiMAXでも大丈夫そうだった。

 まだWiMAXスマホ&パソコンを接続しただけだからわからないけど、取り急ぎネット英会話をやるための時間を、毎日30分どこかで用意しなければならない。

 仕事から帰宅してからやりたいのだけど、息子が寝た後だと起こしてしまうかもしれないのが嫌だから、夕飯を食べている最中とかになっちゃうのかな。

 

 これからも、自分の「やりたい!」「欲しい!」を大切にしていきたい。

 

 おしまい



「軽く」ありたい

 「相槌が変だ」ということで茶化されたり反感を買ったりすることがよくあった。

 

 「相槌が変」なのは話を聞いている最中に「話している相手がどう思って、どういう返答を期待して話をしているのか」ということより、「話を聞いた自分がどう思うか」に集中し過ぎてしまうからだと思う。

 クレームを言ってくるお客さんの言う理屈に一理を感じて「なるほど」と相槌を打ったときは、「なめてんのか?」と言われたし、心から共感した結果「あーはいはいはいはい」と変な相槌をしたときは、後でネタにされた。

 どういう相槌をしていたのか覚えてないけど、親切な上司に申しわけなさそうに、「おまえが真面目に話を聞いてくれてるのは頭では理解できるんだけど、その感じだとちょっと『聞いてくれてないんじゃないか』と不安になっちゃうぜ」と言わせたこともある。

 

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 僕はこのブログとnoteを毎日更新しているという事実からもわかるように、基本的に「重い」人間だ。そして、その「重さ」をどう扱っていいのか今よりもっとわからなかったときは、誰かと一緒にいても四六時中「重い」人間だった。

 いまはその重さを意識的に、欲を言うならなるべく誰かに読んでもらえるような洗練された形・適切な距離で、どこかに置いて、人に直に接するときはできるだけ相手のことを考えられるような「軽い」人間でありたいと思っている。

 

 おしまい



いまの僕は主に学歴でご飯を食べている。

 いまの僕は主に学歴でご飯を食べている。

 

 だけど、大学は僕にとって「なんの為に行っているのかじぶんには全くわからない」という意味で、生暖かい空気が風も吹かずに滞留しているような、地獄だった。

 

 「意味がある」とか「意味がない」とかいうわかりやすい正しさを今よりもっと性急に求め過ぎたし、「なんか学歴だけで美味しいご飯が食べられるらしい」というわけのわからない現実を頑なに受け入れようとしない生真面目さがあった。

 

 一方で予期せず手に入れた聞こえの良い学歴にあぐらをかいて、大した努力もしていないのに大層なことができると思い、結局はネットから印刷しただけの資料を卒論の進捗発表として青い顔で読み上げていたからみじめだった

 

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 僕の大学時代が辛いものだったのは、大学のせいじゃない。

 

 ただ、根本的に「自分が納得できない」ということが、たとえそれが頭の悪い考え方だったとしても、当時の僕を苦しめていたことも間違いない。

 

 いまはちょっと聞こえの良い学歴の風を順風満帆に受けて、結果的に、専業主夫になる前よりも良い待遇の仕事に就くことができた(自分の前職と比べてうんぬんという話であって、平均に比べてどうとかいう話ではないし、待遇が一番大事なわけでもない)。

 

 しかし、僕がそうやっていま自分が持ち合わせているものに対して素直になることができたのは、アホな自分の頭で必死に考えて「専業主夫」という職業なのかなんなのかわからない謎の「職業」を選択し、とことん「自分の納得できる考え」にリスクをとってチャ

レンジをしたからだ(それが立派なことであったかは全く関係ない)。

 

 サロンが良いのか大学が良いのか、どんな進路を選択するのが良いのかという話は、多くの場合、具体的な当事者が「どう考えるのか」「どうしたいのか」ということを置き去りにして行われる。

 

 それは「一般論」とか「確率論」としての話であって、誰かに具体的に押しつけようとして話されているわけではないのかもしれない。

 

 けど、本当に大事なことは「あなたがどう考えるのか」「どうしたいのか」ということであるということを、僕がもっと「おじさん」になってもっともらしいことを言ったり考えているふりをし始める前に、未来の自分や息子のために文章として残しておきたい。

 

 おしまい



誰かの役に具体的に立つことはあまりなさそうだし、これからもずっとアクセス数は伸びないかもしれない。

 ブログのアクセス数が一向に伸びないので、他の人のブログを覗いてみた。

 有名なブロガーの人のブログやはてなのトップページにあがっているブログにざっと目を通してみたけど、どれもデザインが工夫されていて、記事にはイラストや写真など、画像が挿入されていて文章が読みやすくなっている。

 そもそも記事のタイトルや話題も具体的で、英語やプログラミングなどのサービスや購入して使ってみた物の評価など、ブログを訪れた人に具体的に役立つ情報が、結構な分量と共に提供されているようだった。

 

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 このブログを毎日書き始めて1ヶ月くらいが経過した。寝る前に「今日まだ書いてない!」「眠い。。。」となることはしょっちゅうだし、「なんか良い感じに書けた!」と勝手に思っていても、アクセス数が0で誰にも読んでもらえないのが普通だったりする。

 

 だけど、「早く寝たいなあ」「やだなあ」と思っていたのを一旦横に置いて、パソコンに向き合ってひとつの記事として書き上げてみると、大体いつも楽しくなっているから不思議だ。

 

 そして、僕はこんな風に自分が楽しくなれる場所を、まずは僕のために維持していきたいと思っている。

 もし、何かを買ってみたり使ってみたりした評判を書くようなブログを書くとしたら、それ用に別のブログを用意して書くようにしたいと思えるくらい、このブログはいまの「ふわふわ」した感じのままとっておきたいとさえ思っている。

 

 誰かの役に具体的に立つことはあまりなさそうだし、これからもずっとアクセス数は伸びないかもしれない。

 

 それでも、この「ふわふわ」としていて何を書いているのか自分でもよくわかっていないブログを、まずは自分が「楽しく」なれる場所をとっておくために、続けていきたい。

 

 おしまい

家事を必要以上にやってあげてはいけない

 自慢するほど凝ったものや美味しいものが作れる訳ではないのだけど、僕は料理が好きだ。

 わかりやすく家族のためになるのも嬉しいし、手際よく何品目も作れた時は気持ちがいい。

 だから、我が家では、週末に平日5日分のおかずを作って冷凍しておくのだが、その役割を主に僕が担当している。

 

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 Macbook Airを買ってはてなブログとnoteを始めてから1ヶ月くらいが経とうとしている。

 以来、僕はどうしても夜が少し遅くなりがちだったし、妻の好意に甘えて、洗濯物や掃除にほとんど関わらなくなっていた。

 まぁ、料理をしているので全然良いのかもしれないが、息子のお迎えから晩御飯の用意・お風呂という最も「バタバタして疲れる」家事を妻にしてもらっているので、洗濯物くらいもう少し関わりたいとなんとなく思っていた。

 それで、僕が苦笑いしながら「最近、全然洗濯物やってないわ」と妻に言ったところ、妻は「これは洗濯物をやってあげたらいけないな」と思ったらしい。

 就寝前になって、いつもは彼女が夜のうちに干すところまでやってしまうのを、洗濯・脱水の終わった洗濯物を洗濯機の中に入れたまま、僕がパソコンを終えるのを待っていた。

 結局、僕は作業に夢中になって洗濯物のことを忘れていて、パソコンを終えたあとで「あ、今日はやってくれないんだった!」と思い出し、それから洗濯物を干した。

 

 時間にして10分か15分くらいだったと思う。それでも、僕は最初は「今日はやってくれないんだ、チェー」と思ったのだが、やったあとで考えると、やるべきことをやった後の達成感が少しだけあって、気持ちよかった。

 

 うちは役割分担が明確に決まっているわけではないが、それでも、パートナーの家事を必要以上にやってあげてはいけないのだと思う。

 我慢してやってあげた方は、なんだかんだ言って相手のことを恨んでしまうだろうし、やってもらった方はやってもらうことが当たり前になって、どんどん悪い意味で甘やかされていってしまい、たまにやってもらえない時に相手を恨むことになってしまう。

 

 お互いが「やるべき」と思ったことをちゃんとやって、相手にもやらせることが、誰かと一緒に気持ちよく生活していく上で大切なことなのかもしれない。

 

 おしまい



子連れスペインバルが楽しかった

 僕は全然イケてない。着ている服はユニクロだし、靴はABCマートで買ったホーキンスの防水革靴だ。高校生の時はサッカーが下手くそだったし、大学生の時は友達がほとんどいなくて、就職先のコンビニ業界では夜勤込み・月80時間くらい残業しても毎月の手取りが20万円もいかなかったから、結婚した後にお昼ご飯代をケチるようになって、人に心配されるくらい頬がこけて「ゲソゲソ」だった。

 

 とにかくイケてない。だから、イケている人を目の前にするとなんだか恐れ入ってしまうし、イケているような人が行くところは自然に避けてしまう。

 それで、今日高校の時の友達と僕と妻と息子と4人で晩御飯のお店を探している時、いかにも飲み屋っぽいスペインバルを前にして、僕は「うーん」と唸ってしまったが、妻が「いいんじゃない?」と言ったので、流れでそこに入った。

 

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 4時とか5時とか早い時間で他にお客さんがいなくてのんびりできたからか、久しぶりに入ったスペインバルは子供連れでも落ち着いて食事ができたので楽しかった。

 

 元々僕はダサいしケチ臭いので、飲み屋とかスペインバルとかにはあまり縁がなかったのだけど、子供ができてからは、益々そういう場所から遠ざかっていた。

 

 でも、久しぶりに入ったスペインバルは、普段食べたり飲んだりしないようなご飯やお酒が美味しくて、楽しかった。

 

 少し遅い青春をこれから過ごすつもりで、「やりたい」と思ったことや楽しいことをどんどんやっていってもいいのかもしれないと思った。

 

 おしまい