いまの僕は主に学歴でご飯を食べている。

 いまの僕は主に学歴でご飯を食べている。

 

 だけど、大学は僕にとって「なんの為に行っているのかじぶんには全くわからない」という意味で、生暖かい空気が風も吹かずに滞留しているような、地獄だった。

 

 「意味がある」とか「意味がない」とかいうわかりやすい正しさを今よりもっと性急に求め過ぎたし、「なんか学歴だけで美味しいご飯が食べられるらしい」というわけのわからない現実を頑なに受け入れようとしない生真面目さがあった。

 

 一方で予期せず手に入れた聞こえの良い学歴にあぐらをかいて、大した努力もしていないのに大層なことができると思い、結局はネットから印刷しただけの資料を卒論の進捗発表として青い顔で読み上げていたからみじめだった

 

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 僕の大学時代が辛いものだったのは、大学のせいじゃない。

 

 ただ、根本的に「自分が納得できない」ということが、たとえそれが頭の悪い考え方だったとしても、当時の僕を苦しめていたことも間違いない。

 

 いまはちょっと聞こえの良い学歴の風を順風満帆に受けて、結果的に、専業主夫になる前よりも良い待遇の仕事に就くことができた(自分の前職と比べてうんぬんという話であって、平均に比べてどうとかいう話ではないし、待遇が一番大事なわけでもない)。

 

 しかし、僕がそうやっていま自分が持ち合わせているものに対して素直になることができたのは、アホな自分の頭で必死に考えて「専業主夫」という職業なのかなんなのかわからない謎の「職業」を選択し、とことん「自分の納得できる考え」にリスクをとってチャ

レンジをしたからだ(それが立派なことであったかは全く関係ない)。

 

 サロンが良いのか大学が良いのか、どんな進路を選択するのが良いのかという話は、多くの場合、具体的な当事者が「どう考えるのか」「どうしたいのか」ということを置き去りにして行われる。

 

 それは「一般論」とか「確率論」としての話であって、誰かに具体的に押しつけようとして話されているわけではないのかもしれない。

 

 けど、本当に大事なことは「あなたがどう考えるのか」「どうしたいのか」ということであるということを、僕がもっと「おじさん」になってもっともらしいことを言ったり考えているふりをし始める前に、未来の自分や息子のために文章として残しておきたい。

 

 おしまい