「やりたい」という気持ちはその時点で既に「価値」なのだと思う。 

 糸井重里さんが「ほぼ日の父」と言われている梅棹忠夫さんの『情報の文明学』という本がある。

 

 僕は昔から「情報化社会」という言葉の意味がいまいちよくわからなかった(パソコンとかが普及したってこと?でもなんか違うような。。。)のだが、この本はアホな僕が「あ!なるほど!」と理解できるくらい、簡単な言葉で「情報とは」「情報化社会とは」ということを説明してくれる(読んだのが1,2年前でうろ覚えなので本当はそんなに偉そうに断言できない)。

 

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 「やりたい」という気持ちはその時点で既に「価値」なのだと思う。 

 

 だって、特に「やりたい」わけでもないことを、人は「やりたい」と思えないから。

 

 何かをやることは真似できても、「やりたい」という気持ちは真似できない。

 

 誰かが何か好きなものの話をしているのを聞いた時、「この人は本当にそれが好きなんだなぁ」と羨ましくなることがある。

 

 でも、他人の「やりたい」とか「好き」という気持ちを心の底からその人と同じように真似することはできない。

 

 そして、「やりたい」と思えた人は「特に『やりたい』と思っているわけでもない」ひとに比べて、「やりたい」→「できた!」→「楽しい!嬉しい!」→「もっとできるようになりたい!」と、どんどん前に進んでいける心のバネを持っている。

 

 しかも、誰かの「やりたい」という気持ちは、なぜか「特に『やりたい』と思っているわけでもない」ひとたちを含めて、人に「私も私の『やりたい』をやりたい!」と思わせ、元気にする。

 

 だから、「やりたい」という気持ちは「やりたい!」と思えたその時点で、「大きな価値」であり、そういう「気持ち」といったような「情報」に「価値」が認められるようになった社会のことを「情報化社会」というのだと思う(ちょっと自信はない)。

 

 おしまい