当たり前になり過ぎた家族とのお出かけは少し「残業」に似ていると思った。

 昨日このブログで「週末の過ごし方がわからない」と書いた。

 

 家族と一緒に過ごすのに夢中になった結果、自分が一人でやりたかったことのために時間をとるのを忘れて、後で落ち込むことが最近多いという内容の記事だった。

 

 そして今日の朝、落ち込んだりイライラしている僕を見て、妻は「今日は一人で過ごしたら?」と提案してくれた。

 

 「一緒に遊んでくれるのは嬉しいけど、それで落ち込んだりイライラされるくらいなら、私一人で息子と遊びに行くから、ひとりでのんびりしてて」とのことだった。

 

 しかし、「好きなように過ごしていいよ」と言われて「ひゃっほーい」と素直に喜べない自分がいた。

 

 「でもなぁー、一緒に〜(妻と息子の用事)したいしなぁ」「乗り換えの駅までついて行って喫茶店で待ってようかなぁ」「でもやっぱり家の最寄りの駅まででお別れしようかなぁ」などと僕は優柔不断にあれこれ迷っていた。

 

 結局、家の最寄りの駅まで一緒に行ってそこで別れることにしたのだけど、駅の階段を降りて行く息子と妻を見送るその時まで、僕は「なんだかなぁ」と思って気持ちが晴れなかった。

 

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 妻と息子と一緒に週末を過ごすことに慣れすぎて、ひとりになるのが寂しかったのだと思う。

 

 そして、当たり前になり過ぎた家族とのお出かけは少し「残業」に似ていると思った。

 

 妻と息子から離れる時の「罪悪感」が仕事を切り上げる時の「罪悪感」に似ていると思ったのだ。

 

 そんな「罪悪感」を僕が抱くことを周りの誰も求めていないし、「罪悪感」に従ってお出かけや仕事を続けた結果、落ち込んだりイライラされても周りは迷惑だ。

 

 だけど、過剰なお出かけも残業もそれ自体は周りはそれはそれで助かるし、本人も「なんか良いことしてる気分になれる」という点が似ている。

 

 本当はどちらも自分が「なんとなく寂しい」だけで、ひとりになって自分自身と向き合うことが「面倒」なだけなのだ。

 

 今日もブログを読んで頂いてありがとうございます。

 

 人は誰かと一緒にいたいと思いながらひとりにもなりたいと思う、わがままな生き物だ。

 

 (あれ最後なんかパクってる(笑))

 

 おしまい