やりたいことは無理にでも「いま」始めてしまうしかないのだと思う

 ぼぼ日の糸井重里さんが、東進の林修さんの「いつやるんですか? いまでしょ!」ということばについて「すっごく大事なこと」とツイッターで言及していた。

「すっごく大事」なのは「受験勉強のことじゃなくて、『前々からやりたかった遊びだとか贅沢だとか』そういうものについてのこととして」らしい。

 つまり、「いま」やらなければならないのは、いつまでも手をつけないでおきたい嫌な仕事のことでもないし、義理を果たす為に誰かに挨拶に行くことでもない。

 

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 やりたいことは無理にでもいま始めてしまうしかないのだと思う。

 いつか訪れるかもしれないバカンスの為に「やりたい」ことをとっておいたとしても、結局、人生なんていつだって何かに追われていて、そんなバカンスはいつまで経っても海の向こうにあるのだろうし、時間が経てば、いまのじぶんが信じられないほど、未来のじぶんはいまのじぶんが日々何を思って暮らしていたか、忘れているだろう。

 「やりたい」と思うその気持ちは、いまは永遠に続くように感じられる。

 しかし、いまよりもっと幼かった時の自分の子供のことを気がついたら写真でしか思い出せなくなってしまうように、僕らは「いま」愛したものを確実に忘れていく。

 

 「やりたい」ことは「いま」やるしかないのである。

 そのためには、最初は多少無理をしてでも、その「やりたい」ことを「いま」始めてしまうしかないのだと思う。

 

 習慣になってしまえば、始める前に考えていたほど、このブログも労力がかからなくなってきましたよ。

 

 おしまい