「軽く」ありたい

 「相槌が変だ」ということで茶化されたり反感を買ったりすることがよくあった。

 

 「相槌が変」なのは話を聞いている最中に「話している相手がどう思って、どういう返答を期待して話をしているのか」ということより、「話を聞いた自分がどう思うか」に集中し過ぎてしまうからだと思う。

 クレームを言ってくるお客さんの言う理屈に一理を感じて「なるほど」と相槌を打ったときは、「なめてんのか?」と言われたし、心から共感した結果「あーはいはいはいはい」と変な相槌をしたときは、後でネタにされた。

 どういう相槌をしていたのか覚えてないけど、親切な上司に申しわけなさそうに、「おまえが真面目に話を聞いてくれてるのは頭では理解できるんだけど、その感じだとちょっと『聞いてくれてないんじゃないか』と不安になっちゃうぜ」と言わせたこともある。

 

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 僕はこのブログとnoteを毎日更新しているという事実からもわかるように、基本的に「重い」人間だ。そして、その「重さ」をどう扱っていいのか今よりもっとわからなかったときは、誰かと一緒にいても四六時中「重い」人間だった。

 いまはその重さを意識的に、欲を言うならなるべく誰かに読んでもらえるような洗練された形・適切な距離で、どこかに置いて、人に直に接するときはできるだけ相手のことを考えられるような「軽い」人間でありたいと思っている。

 

 おしまい