朝焼けが綺麗だった
久しぶりに朝早く起きて外に出た。
最近、寝起きする時間が微妙に曖昧になっていて、何時に寝ても平日も休日もギリギリの時間まで寝ていた。
「ちょっと風邪っぽい」のを理由に何日か早く寝るようにしていたら逆に寝すぎてしまったようで身体が凝ってしまい、週末に一人でやりたいことをやる時間を確保する目的もあって、今日はいつもより早く起きて近所の24時間営業しているファミリーレストランに来た。
元々、専業主夫だった時には朝早く起きて運動したり喫茶店に行ったりするのが習慣になっていたから、身体にその時のリズムがまだ残っているらしく、今日も早起きするのは久しぶりだったにも関わらず、目的の時間通りにすんなりと目を覚ますことができた。
既に起きてしまっていた息子に見つからないようにそっと玄関の扉を閉めて振り返ると、マンションの廊下の柵の向こうに焼けるような朝日が登っているのが見えた。その時ふと写真を撮って妻にLINEで送ろうか迷って止めたのだが、今考えればもう少しその綺麗な朝焼けを眺めていてもよかったかもしれない。
ファミレスに入ってnoteとブログの記事を書き始める前にTwitterをチェックすると、朝焼けの写真をアップロードしている人がいた。
僕は同じ時間に自分と同じ様に朝焼けの美しさに心を動かされた人がいたことに何とも言えない不思議と幸せを感じ、「帰りはもっとよく空を見て帰ろう」と思った。
なんでもないことを一緒にやるのが楽しい
僕は頭でっかちでせっかちな人間なので、「効率」を重視した結果自分に合わないやり方を選択してイライラしたり、一人で過剰に物事を進めすぎて先走り、周りと話が合わなくなることがよくある。
例えば、賃貸物件を探すのに一人でweb検索から内覧まで済ませ、「この家よかったよ」と妻に言っては、彼女があまり乗り気でないと「なんでせっかく調べたのに乗り気になってくれないんだ」とイライラしてしまったりする。
そんな時、妻にわけを聞くと「だって調べるところから一緒にやってないんだもん」と彼女は言う。曰く、「勝手に調べて持ってこられても、一緒にやったことじゃないから、モチベーションや思い入れにギャップが出来ちゃうんじゃない?」とのことだった。
ーーー
買い物を全てネットスーパーで完結させようとしていた時も僕はスマホで食品を選ぶのがどうしても億劫に感じられてイライラしながらやっていたのだが、最近では駅前のスーパーで一週間分の食材をまとめ買いして作り置きするようにしている。
その時に応じて妻や息子と一緒に行ったり、僕一人だけで買って帰ったりするのだが、今日、息子を連れて妻と一緒に買い物をしていて「楽しいな」とふと思った。
第一、献立を一人で考えなくて済むことが楽で、一緒に考えていると「あれ食べたい」「こうしたらいいんじゃない」と言う提案が貰える。
調理する側としては当然相手が「食べたい」と思っている料理を作る方がモチベーションが上がるし、食べる側としても、毎週のように同じ味付けの定番料理を出されるより、自分が「食べたい」と言ったものを作って貰える方が嬉しいに違いない。
買い物なんて面白味のない日常的なタスクであり、効率化したり自動化したり、外部化してしまった方が良いようにも思われる。
それでも、買い物のような、なんでもないことを一緒にやることが楽しかったりするものだから、不思議だ。
おしまい
「低く見られている」ときにだけ積み上げられる「観察力とか、技術とか」があるらしい。
糸井重里さんが「若い人は焦りすぎてちょっと見苦しい感じになってないか?」とツイートしていたような気がしたので調べてみたが、少し違った。
全文ここに載せてみる。
~
少し粗末に扱われている時代には、周囲がよく観察できるわけでさ。
その時代に培った観察力とか、技術とかが、100どころか200とか1000とかの価値を生み出すんだと思う。
いまの若い人、わたしの価値を安く見ないでと早めに対策しすぎてるような気がする。低く見られているうちが、根っこを育てるとき。
~
なにかの能力がずば抜けて一躍脚光を浴びるような人も、ほとんど誰にも注目されない頃からコツコツと自分のやりたいこと・好きなことを積み上げているものだ。
大阪なおみさんだって、おそらく僕らが信じられないほど、毎日毎日当たり前のようにテニスをしているのだろう。
だから、僕も「焦らないで少しずつやりたいこと・好きなことを積み上げていきたい」という文章を書こうとしたのだけど、糸井さんの言うことはもう少し踏み込んだアドバイスだった。
むしろ、「低く見られている」ときにだけ積み上げられる「観察力とか、技術とか」があるらしい。
そして、それは「100どころか200とか1000とかの価値を生み出す」らしい。
「焦らない」とだけ書こうとしたのだけど、むしろ誰にも「低く見られている」うちがチャンスなんだなんてこと、考えもしなかった。
焦らない。それどころか、チャンスだと思って、好きなこと・やりたいことを積み上げていきたい。
おしまい
たくさん寝た。
たくさん寝た。ただそれだけのことをブログにして書いてもいいのだろうか?
だけど、今まで約28年生きてきて1年に100回くらい「昨日何でもっと早く寝なかったんだろう」と後悔して「これからは睡眠第一で生きていきたい」と心に決めているくらいだから、たまには成功事例として「たくさん寝た」ことを書いておいてもいいのかもしれない。
ーーー
やりたいことがたくさんある。
家のこともやらなきゃいけないし、2つのブログだったりネット英会話だったり、もう一つ新しいブログとそのためのGoogleアドセンス申請だったり、読書だったりDaznだったり。
そして、やりたいことはやればやるほどどんどん出てくる。習慣になってしまえば労力も減るだろうから、最初の一歩を次々と踏み出している最近の僕は「偉い!」と自分で思う。
だけど、今日、「ちょっとたくさん寝ただけで、こんなに機嫌が良くなるの!?」と妻に言われたくらい、今日の僕は機嫌が良く見えたらしい。
特別ハイテンションだったわけでもないけど、何となく全体的に余裕が感じられたのだと思う。
これでもまだ足りていないくらいだと思うのだけど、「たくさん寝る」度に「寝る」ことの良さを実感し、また忘れてしまう。
別に「風邪を絶対にひきたくない」とかケチくさいことを望んでいるわけでもない。
だけど、やっぱり、いつだって「機嫌良く」ありたいし、そのために「良く」寝たいと思う。
大事なのは、「やりたいことがたくさんあってどうしても寝るのが遅くなってしまう」という元々の話と矛盾するようだけど、「やりたいことを思い切りたくさんやる」ことと「諦める」ことなのかな。
おしまい
やりたいことを着々と実行に移すことができているけど
おととい、DMM英会話の体験レッスンを受けた。
9月にずっとやりたいと思っていて手をつけられなかったのを、先週の始めに思い切ってWiMaxを契約して環境を整えた上で、やっと受講することができたのだ。
最初のレッスンを受けるまで1週間くらいなんだか「モジモジ」して後回しにしていたのだけど、ようやく受けることができた。
それ以外にも無料体験期間中に1回だけダイジェストを見ただけのDaznも、無理やりネットで調べ物をしている最中にスクリーンを半分に割って流すことで、同じ日に川崎フロンターレの試合を少しだけ視聴することができた。
ーーー
新しいことを始めるときは、最初のハードルが一番高い。慣れてしまえば、あとは習慣的に実行することができるけど、最初は「なんだかわからなくて」「恐かったり」「めんどくさく」て、どうしてもやらないまま過ごしてしまう。
だから、2週間前の終わりに「やりたいこと」として書き出してから着々と実行に移している僕は、自分のブログで自分で言ってもしょうもないのだけど、偉い。
だけど、「やりたいこと」をやるのに夢中になって、犠牲にしてしまったこともあった。
気づいたら妻に家事や育児を押し付けて、妻や息子のことをあまり気にかけていなかった。
それに、昨日ラジオ番組でテーマになっていた夕日のことを書こうとして、「最近、空を眺めてないから書けないなあ」と気がついてしまった。
新しいことを始めるのもいいことだけど、それまであって当たり前だったように感じられていたことも、忘れずに大切にしていきたい。
おしまい
特に書きたいことも浮かばないときは
特に書きたいことも浮かばないときは、基本的に体調があまりよくないのだと思う。
それでも何かしら書こうと思うと、無理に大げさなことを言おうとしたり、思ってもないようなことを書いて後味が悪くなったりする。
だから、そんなときは「特に書きたいことが浮かばない」ということ自体を書いてしまってもいいのかもしれない。
ーーー
昨日の夜どうしてもっと早く寝なかったのかと思うことはよくある。
調子の悪いときほど止め時を見失って、夜更かししてしまう。
僕の場合、昨日はそれほどでもなかったのだけど、薄々風邪をひきそうな気配かあったので、もっと早く寝てもよかったかもしれない。
だけど、やりたいことが沢山あって、ついギリギリまでそれらをやっていた結果、いつもより少しだけ遅い時間に布団に入ったのだった。
「1年に1度くらいしか風邪をひかない」と言っていた僕の友達や「夜はまあ寝るだけですよね」とあっさりと言っていた大谷選手のことが羨ましい。
この前ブログにやりたいことを書き出したら着々と実行に移すことができるようになったので、この件に関しても明記してみたい。
たまには風邪を引くのも大事なのかなとは思うけど、もっといつでも機嫌良くいられるように、夜は何よりもまず寝ることを優先するようにしたい。
おしまい
毎日続けることの効用
MacBookAirを買ってから思い立ってブログとnoteを毎日投稿し始めて、40日ちょっとが経っていた。
途中ミスがあって投稿は途切れていたが、記事自体は毎日書き続けていた。しかし、一昨日わけがあって記事を書かなかったので、その連続記録も途絶えてしまった。
1日空けてまた記事を書き始めたが、以前のように文章がスラスラと出てこない気がする。文と文の繋がりもぎこちなくて、何度も文章を最初から読み直してしまう。なんだか、悪いクスリが切れてしまったように、書くことに集中できない。
毎日続けることの効用はここにあるのだと思う。
「毎日やってるんだ」という自信がどんどん積み重なって「書ける」という自信が強固になっていくし、頭もどんどん「書くための頭」に変化してくる。
毎日続けることを理想化し過ぎるのも危ないとは思うけど、どう考えても、1日止めただけで「スラスラ」と書けていたときの感覚がどこかにいってしまったように感じられる。
吉本隆明さんが「毎日続けるとそれは掛け算になるけど、1日でも止めてしまうと足し算になってしまう」というようなことを言っていてた。
糸井重里さんはそれを「作用と反作用」という考え方を持ち出して、「ハンマーで何かを打っているとハンマーの方も変形してくる」という風に説明していたような気がする。
これからもまた毎日続けることで、どんどん自分の身体を「書く」ための身体に変えていきたい。
おしまい