「浅く考える」ことの良さ

 「深く考える」というと基本的に「良いこと」だというイメージがある。「深く考え過ぎだよー」というのは「過ぎ」という言葉が入っているからこそ「過剰」というマイナスなイメージがつくのであって、それでも、相手の「物事を深く考えようとする真面目な姿勢」までもが「悪い」と批判されているようには思えない。そして、「深く考える」ということには「思慮深い」とか「熟慮」など、肯定的な意味の言葉がたくさんある。

 一方で「浅く考える」というと「考えが浅い」「浅薄」というように基本的にマイナスなこととして捉えられる。

 

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 僕は自分自身についていえば、「深く考えている」「ふりをする」「癖」がついているのではないかと、昨日布団に入ってから思いついた。

 「深く考えている」「ふり」をしていれば、誰かに「怠けている!」と批判されることもないし、僕自身も「一生懸命物事を考えている」という気にもなれる。そして、自分を含めて誰も「深く考える」ことを基本的には「否定しない」から、僕はますます「深く考えている」「ふり」をする「癖」が身についていく。

 

 問題なのは、その「考えの深さ」というのが、誰かにチェックされた上で「深い」とされているのではなく、自分の「深く考えたような」「つもり」の度合いで判断されているということで、必ずしもそれが本当に「深い」考えなのかどうかはわからないということだ。

 

 そして、「深く考えたつもり」になっている自分の「殻」はますます厚くなっていく。それくらいなら、いっそのこと、「浅く考える」と決めて、バシバシ自分の考えを表に出していった方が、結果的に、考えもバシバシ鍛えられて「深く」なっていくのではないかと思ったのだ。

 

 それに、「深く考える」「ふり」とかそういう「キャラ」が身についてしまうと、瞬発的に反応しなければならない「喧嘩」のようなときに、なにも相手に言い返せず、後で言い返しているイメージを妄想して自分を慰めなければならなかったり、「本当に自分が悪かったのか」と悩んで、ストレスを溜め込む癖ができてしまう。

 

 簡単にその場で思ったことを言ったり言い返したりてしまえばいいのだ。

 

 「そんなこと言えない」と思うのは、自分の「深く考える」「ふりをする」「癖」とか「キャラ」のせいでしかないのかもしれない。